ヘアモコモコ生活

ヘアモコモコ生活

階段

大学時代絵に描いたようなモラハラ彼氏と付き合っており、日に4回くらい「ブス」「デブ」と言われていた。

ある時、この彼氏にブスと言われただかデブと言われただかでいつも通りメンタル崩壊していたのを見た1つ上の先輩から「あなたはブスでもデブでもないよ、すごくかわいいから大丈夫!」と慰められたことがある。この先輩は文句のつけようの無い美人でスタイルもすごく良い人だったので、この人にブスじゃない、と断言されることは妙な説得力があったし、何より何てひどい彼氏なんだ!と腹を立ててくれる友達は周りにたくさんいたが、ブスじゃないよ!と断言してくれる人はそういえばあまりいなかったので、その言葉が真実かどうかは置いといてちょっと嬉しかった記憶がある。

このあと先輩は「毎日駅で階段を一段飛ばしで上れば太ることもない、深夜にカップラーメンを食べても大丈夫な体になれる」と続けて、話を終わりにした。

 

今考えてみると、仮にその先輩が階段を一段飛ばしで上っていたとしてもだから先輩のスタイルが良かったわけではないと思うし、深夜にカップラーメンも全くの嘘ではないにせよそんな頻繁にやっていたとも思えない。努力しなくても元から美しい私アピールみたいなつまんないことをするような人ではなかったので(というかそんなことしなくても私より綺麗なのは一目瞭然であったので)先輩なりの本気のアドバイスだったとは思われるが、内容の妥当性は薄かった。

 

しかしこの時から、1人の時はなるべく階段を使うようになった。しかも割と一段飛ばしで上っている。7年経った今もこの習慣は変わっていない。あの頃の自分を思い返すと「ブスじゃないよ」も含めて内容の真偽はかなり怪しいし、階段を一段飛ばしで上がったからって別にやせないが、一段飛ばしで上がるたび「私まだやっていける」という気持ちになれる。やはりその時先輩の言葉にそれだけ救われていたのだと思う。

 

私にとって「階段を一段飛ばしで上ると太らない」は、ある種お守りのような言葉だ。卒業後この先輩とは連絡を取っていないし、そもそも当時よりやせて今そんなに太ってもないのだが、階段をなるべく一番飛ばしで上がることは既に習慣となった。これは私の生活を支える祈りである。毎日のお祈りを欠かさないキリスト教徒の気持ちがほんのりわからないでもない。