ヘアモコモコ生活

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遺伝

生まれつき父のことが全く好きになれないのだが、それでも父の血が流れている、と実感する瞬間がある。

 

父は率直に言って、幼くてわがままな人物だった。信号も基本的に守らない人だったのだが、3歳くらいの時そのことを咎めたら「赤信号も渡る方が結局迷惑かからないんだよ!」という3歳児にはちょっと理解が難しい超理論で怒られて、横断歩道で泣き喚いた記憶がある。要は大人としての器がなく、子供から見ても幼いと言わざるを得ない人物であった。

 

そんな人物なので、家の中でも大胆なマナー違反に走ることは日常茶飯事だった。夕飯の時など、父は母の作った食事はつまむ程度に抑え、ポップコーンを広げて食べるのが常であった。夕飯を毎日作っていた母がどう思っていたのかは謎である。小さい時はこれが普通だったので「父親って治外法権なんだな」くらいにしか思わなかったが、今思うと夕飯の時にポップコーンを広げて食べる大人は普通にヤバいし、そんな父を見逃していた母にもちょっと引く。しかも父は酔っ払ってよくポップコーンをぶちまけていた。「お前のせいだよ!」と全く意味不明な喚きに応じて母が散乱したポップコーンを拾っている姿を何度も見た。

 

しかし血は争えないもので、近年私も夕飯を食べながらポテトチップスをつまむ大人になってしまった。しかも夫が作った夕飯を食べるときだけ。自分で作った夕飯の時はそんなことはしない。自分で作った食事は自分の食べたいものを作ってるのでそれでもう完結なのだが、他人が作った食事については、自分の食べたいものを食べている感を演出するためにどうしても何かを足したくなってしまい、ポテトチップスをつまんでしまう。なおこれは夫の料理の腕とは何の関係もない。が、普通に夫に失礼だし、何よりかつて父を憎んだ自分の子供時代を裏切っているようで、私も堕ちたなという気持ちになる。

 

とはいえ子供の時奇妙だと思っていた親の行動が長年の時を経て自分にも出現してくるのは、やはりちょっと感じ入るものがある。血は争えない、を体で感じる。父のポップコーン心理がこれと同じなのかは今となっては不明だが、多分同じようなことだったんじゃないかなと思う。

 

憎むべき相手の血が流れているのは複雑な気持ちだが、小さい時全く理解できなかった人間の心理を自分自身の感情を通して追体験できるという意味では、遺伝は興味深い。実家とは折り合いの悪い私だが、自分の血の中に潜む親や妹の姿は素直に受け入れようと思っている。