ヘアモコモコ生活

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君島十和子

長年、君島十和子が気になっている。

君島十和子を知ったのがいつかは思い出せないが、意識するようになった最初のきっかけは母親が君島十和子のレシピ本みたいなのを図書館で借りて来たことだと思う。日常的に作る料理の一例として「アクアパッツァ」が載っていて、子供心にちょっと引いた記憶がある。(当時はアクアパッツァが今ほどポピュラーじゃなかった)今思えば母は君島十和子のファンだったのだろうか?

 

この頃私と母はNHKのドラマ『下流の宴』を毎週見ていた。林真理子の原作も読んでいたので割と熱心に見ていたと思う。黒木瞳が主演だったのだが、いつだったか母とこのドラマについて話していた時に、母が黒木瞳は性格が悪いらしいという話を持ち出して、それを裏付けるエピソードとして「黒木瞳の娘と君島十和子の娘が同じバレエ教室に通っていて、互いの娘の発表会のポジションを巡ってものすごい険悪になったらしい」という話を付け加えてきたことがあった。

中学生の私はこの黒木瞳のエピソードが妙に気に入ってしまい、ついでに君島十和子が気になる存在になったのである。

 

また何年か経ち、受験生の頃だと思うが、安野モヨコの美容エッセイ『美人画報』の中で、最近の女は昔に比べて話し方が美しくないというテーマの回を読む機会があった。そこに「そんな現代でも君島十和子は美しい」といったニュアンスの記述があり、この時点で私は君島十和子が喋っている姿を1度も見たことがなかったのだが、それでも君島十和子は話し方が美しいんだ!と何故か強烈に印象付いた。1度は話しているところを見てみたいと強い興味を抱いた。

 

それから月日が経って今に至る。今でも『美人画報』をしょっちゅう読み返していることもあって、変わらず君島十和子には強い興味がある。あるものの、実を言えば君島十和子が何者なのか、今もあまりよくわかっていない。何なら君島十和子の顔もあまりよく思い出せない。しかも結局話しているところはまだ見たことがない。それでもずっと君島十和子のことは気になっている。もはやそこに理由はない。

 

先日ベストセラーと話題のMEGUMIの美容本を立ち読みするべく梅田の紀伊国屋書店に行ったら、隣に君島十和子の美容本が置いてあった。本によると君島十和子は60近いとのことだったが、どう見ても30代にしか見えない写真ばかりで、憧れを通り越して恐怖心が芽生えた。君島十和子の顔が覚えられないのは人間離れした美しさのせいで、これといった特徴が見出せないだと思われる。

MEGUMIの美容本は、冒頭こそプチプラコスメで十分!(ルルルンのシートマスクや安価なスチーマー)というノリで始まるもののページをめくるごとに使う美容グッズが高くなっていく(10万円以上する美顔器やプライベートジム)という、一般民衆への寄り添いと真実味のバランスが実に巧みな構成だったのだが、君島十和子の方は愛用コスメにCNPアンプルというまさかのめちゃくちゃ庶民派韓国コスメを挙げており、読者への媚びが下手過ぎるのか逆に本気なのか全く判別がつかない、困惑する内容だった。

 

最近宝塚にハマって黒木瞳という存在を今一度考え直していたのと、一昨日から林真理子を10年ぶりくらいに読んでいたのが重なって、先述の『下流の宴』にまつわる(まつわってはないが)バレエの発表会エピソードを思い出した。そしてこのエピソードを母に聞かされた中学生の頃から、君島十和子への知識が全く深まってないことにも気付いた。長年気になる存在だが、気になってるだけなのだ。

 

多分今後も君島十和子のことは気になり続けるが、だからどうというわけではない。それ以上でもそれ以下でもないが、君島十和子という概念はこれまでもこの先も私にとって微妙に特別な存在である。私と君島十和子はただそれだけの関係だ。世の中の大体のものとはこのくらいの関係であるとも言う。