ヘアモコモコ生活

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お洒落

ロシア語を学びに5年間外国語大学に通ったが想像以上にロシア語が身に付かなかったので、卒業論文は「おしゃれとは何か」と題して身体論を扱った。

一応卒論のテーマに据えるくらいには昔からファッションやお洒落には興味を持っていた方で、思春期にZipperやKERAを読んでいたことも影響してか、ゴスロリや原宿系のかなり派手目な服が好きだった。特にゴスロリは当時値段の問題で手に入らなかったこともあり、尋常ではない憧れを持っていた。

 

今もその好みはあまり変わっていないのだが、流石に最近は服を買うこと自体が減ってきた。年を重ねるごとに、お洒落というものそれ自体への熱意が減ってきた感じがする。

また卒論を書いていた時もよく考えた部分なのだが、服が好きな人/服を着るのが好きな人/おしゃれが好きな人/おしゃれになりたい人/自分の外見をより良く見せるために服を着るのが好きな人/自己表現として服を着る人は微妙にそれぞれ違っている。私は洋服や服飾という文化自体はすごく好きなので、今でもファッション批評系の本が話題になると必ず読んでいるが、自分自身がおしゃれになりたいという意思は薄く、また服によって表現したい自己も持っていないことに気づいた。

 

最近の私は、大体下記の基準で服を選んでいる。

 

・色が白ではない(最重要。汚れるのが嫌)

・スパンコールなどが付いていない(取れて洗濯機に挟まって故障したりするのが嫌)

・シワになりにくい(アイロンが嫌)

・できればボタンがない(脱ぎ着の手間を減らしたい)

・長袖の場合、袖のボリュームが小さい(料理などと知らぬ間に接触して汚れるのが嫌)

・冬は基本スカートを履かない(タイツやストッキングが嫌い)

・靴はニューバランスビルケンシュトックしか履かないので、それに合うかどうか

・上記の条件を満たした上で、ある程度好みに合う

 

条件を見ているとよくわかるのだが、私は完全に実用性で服を選ぶようになっており、中高生の頃憧れてやまなかったゴスロリは全ての条件から外れている。ゴスロリを買うことができる経済力を身につけた今、ゴスロリを買えるだけの無邪気さ(=着にくさを乗り越えてゴスロリの世界観を見に纏う気力)を失っている。

 

ただ10代の時と変わっていないところもあって、良いと思った服は売り切れる前に一旦買っておき、ピンと来なかったらすぐ捨てるという買い物スタイルは、今も継続中だ。10代の頃は安物買いの銭失いを体現する日々で、ゴミ袋2袋くらいの服を毎シーズン捨てていた。この時と今で微妙に違うのは、半端に経済力がついたせいで捨てている服の値段が着実に上がっているところだ。最近は3万くらいの服も1回着てダメならためらいなく捨てるようにしている。

 

今日、わたしは久々に通販で見かけた服を買うかどうか1日中考えていた。関西にこの服を扱っている店舗は無いので、買うとすればオンラインでの購入になる。通販の打率は生涯でも4割といったところで、6割は購入後1年以内に廃棄となっている。廃棄覚悟でこの服を買うかどうか。この秋の服装がこの1手にかかっている。

秋冬で私と会う人は、私がやたらと高そうなデニムを履いているかどうか、注目してみてください。履いてなかった場合、諦めたのか捨てたのか、是非想像を膨らませてみてください。